| 「俳優・渡哲也という部分だけに限って、 石原プロに所属したことが良かったのか、 あるいは悪かったのかと問われれば、 おそらく自分は後者だと思います」 これは、「西部警察」の実質的主人公・大門圭介を演じた渡哲也氏が語った言葉である。これは、筆者にとっては大きな衝撃であった。なぜならこれは、石原プロモーションが「西部警察」を製作するにあたって、渡氏が自ら現場監督としてさまざまな折衝や指揮をこなしながら、中心人物である「大門圭介団長」として、文字通り「西部警察」の顔として活動していたからである。「西部警察」の象徴、そして石原プロの重鎮である渡氏の、この発言。筆者には、まったく意外でしかないものであった。 ではなぜ、渡氏はこのような発言をしたのであろうか。それには、石原プロの設立意図、そして「西部警察」のあり方と渡氏個人の意識についてすこし考察する必要がある。 渡氏は、「西部警察」、ひいては石原プロの当時の現状に強い不満を抱いていた。 いや、はっきり言おう。 渡哲也は、「西部警察」がイヤだったのである。 渡氏は言う。 「街頭、とりわけ駅前などでの銃撃戦も恥ずかしかったですね。本物の弾(筆者注:撮影用の火薬などのことか)は高いから、とテストの時は、自分の口でパンッ、パンッっていいながら撃つ真似をするんです。大勢の見物人が集まっている中で、大の男がパンッ、パンッですからね・・・」 無理もあるまい。いい年をした大人が、たとえ仕事だとはいえ、まるで子供の遊びのようなことをしていれば、見ている側の意識がどうあろうとも、恥ずかしく、みっともない心境に立たされるのは必定である。 さらに、こうも言う。 「いい年をした中年男がサングラスなんかかけて、ここぞというタイミングの時に派手な車にのって登場して犯人をバーン、で一件落着。おまけに事件が解決したら、パトカーに乗って帰ればいいものを、なぜか一人だけ反対方向に向かって歩いていく。やっている方は照れますよ」 見ているほうは、それが大門圭介というキャラクターであり、魅力でもあることを承知しているものではあるが、やはり演ずる側としてはかなり抵抗のあるキャラクターであったことも想像に難くない。レイバンのサングラスを常用し、思いつめた表情でひとりタバコをふかしながら歩くという光景は、演じている人間にとって、かなり気恥ずかしい状況であることは、容易に想像できるからだ。 大門圭介という、特異なキャラクター。日本では到底ありえない、激烈な銃撃戦。自らもショットガンをかまえその中心に立つ。渡氏には、やはりその光景は違和感のあるものだったようだ。 俳優は一匹狼的であるべきである。 これは、渡氏の考え方の一つである。やりたい仕事を自分で選べるからだ。だが、石原裕次郎氏の人間性に限りない魅力をおぼえ、石原氏の映画製作会社である石原プロに、あえて入社した渡氏を待っていたのは、その意図とはかけ離れた、そして自分の希望とも異なる仕事ばかり。 「西部警察」などの作品を通じて、渡氏は自分のためではなく、会社のために仕事をせざるを得ない状況に追いこまれていったのである。 しかし、渡氏が「滅私奉公」をしたのには、もちろんれっきとした理由が存在した。 当時、石原プロは以前製作した映画「ある兵士の賭け」の興行的失敗などにより、六億円とも言われる多額の負債を抱えてしまっており、それこそ倒産も考えられるほどであった。現に、石原氏自身は会社の解散を考えていたという。 だが、石原プロを存続させたいメンバーは、別会社を作り資金集めに没頭。石原氏もテレビ出演に乗り出し「太陽にほえろ!」等で好評を博すと、石原プロ自身もテレビ番組の制作に乗り出す。そして、それまでの番組作りのセオリーを打破し、広告代理店を間に入れず直接番組をテレビ局に売るという、抜本的な収入体系の確立のもと、装甲車を丸の内に走らせたり、廃工場の煙突をなぎ倒すなどといった派手な演出・現実には絶対にありえないような番組作りがとられた「西部警察」は、視聴者の熱狂的な支持を受け、傾きかけていた石原プロの屋台骨を、まさしく再び強固な柱へと作りかえることになったのである。 だが、もともと映画俳優としてスタートした渡氏には、このような作品に出演するのは本意ではなかった。本来、「既存の映画会社にない映画作りを目指す」ため設立されたはずの石原プロが、経営のためとはいえ、テレビ番組ばかり作る現実。 さらに、「西部警察」のために、渡氏は他の映画に出演する機会がなかった。これは石原プロの小林正彦専務の「西部警察に専念してもらいたい」という意向からだったのだが、実際「十泊十一日」のスケジュールさえ組まれたことのある「西部警察」のハードな撮影日程には、他の映画の撮影に出演する時間的余裕などありはしなかっただろう。 このとき、渡氏は30台の後半。俳優にとっては、もっともいい時期であるという。渡氏は、その時期を、不本意ながらも「西部警察」のためだけに捧げたのである。 冒頭に挙げたようなショッキングな言葉も、渡氏にとっては、決して誇張ではないのである。 さらに。 渡氏の不満は、やがて石原裕次郎氏へと向かっていく。 「石原プロは建前としては、協定に縛られた既存の映画会社にない映画を製作していくんだということで出発していった会社。それがピストルを持って走り回るテレビ番組ばかりを作ってしまった。コマサ(小林専務)のソロバン勘定がやらせたことなんですけども、自分の攻撃先としては石原さんでした」 なぜか。 「石原さんが『映画を作れ』と言わないから、コマサはいつまでもテレビ番組ばかり作ってしまった。そうした気持ちは絶えずありましたね」 先行の日本テレビ系ドラマ「大都会」にしても、「西部警察」にしても、結局石原プロはアクション主体のテレビ番組ばかりにかかりっきりになってしまい、映画製作の機会は失われてしまっていた。創設意図と著しくかけ離れた活動ばかりしていた石原プロ、ひいてはその代表者である石原氏に、渡氏が不満を抱いていたことはまず間違いない。 また、渡氏はその石原氏についても心配していることがあった。 かつて日活映画で一斉を風靡した石原氏がテレビのアクションに出演しても、それは結局かつての名声にすがっているだけではないのか。栄光の切り売りではないのか。 渡氏は、石原氏のステータスさえも心配していたのである。 会社の方向性への不満。そして、その方向性の権化である「西部警察」。 渡氏は、大きなディレンマを心に抱きつつも、俳優として、また石原プロの一員として、5年間に渡り「西部警察」を演じつづけてきた。 だが、そんな渡氏の心労を、誰よりも敏感に感じていたのは、誰あろう石原軍団の頭領・石原裕次郎氏その人であった。不満をこらえ、会社のために身を粉にして働く渡氏の心境を、たとえ渡氏が口に出さずとも、石原氏は痛烈に感じていたのであろう。やがて石原氏は、自らの気持ちを率直に渡氏に伝えるべく、渡氏も含めたすべての人間が思いもかけなかった、驚くべき手段をとる。 「西部警察」最終回、テロ集団との戦いで殉職し、霊安室にその身を横たえる大門。 やがて、石原氏演ずる木暮謙三課長が、静かに大門の元へと近づき、言葉を掛けるシーンがやってきた。 だが、ここで石原氏は、周囲が思いもよらなかった行動に出る。 大門の亡骸に寄り添った木暮。そっと声を掛ける・・・が、 「疲れただろう。だから眠っているんだろう。違うか。頼む、一言でいい。何とか言ってくれ」 その言葉は、台本には書かれていないものであった。 さらに、木暮は台本とは異なる台詞を続ける。 「俺はなあ、あんたが、弟みたいに好きだった・・・。ありがとう・・・」 そういって、涙を流す木暮。その涙は、あながち演技とは思われぬものであった・・・。 石原氏は、木暮謙三ではなく、「石原裕次郎」として、「渡哲也」に声を掛けたのである。 疲れただろう。 それは、会社のために自らを犠牲にした男への、 せめてものねぎらい、そして、感謝の言葉。 あらためて、石原裕次郎という男のスケールの大きさが分かるシーンである。自分の思いを演技に託し、ドラマに重厚感を与え、なおかつ、そのドラマのために粉骨砕身した男へ、これ以上ない感謝の気持ちを伝えたのだから。 渡氏は、この演技に接した瞬間に、それまで抱いていた心情はさっぱりと吹き飛んだ。それどころか、石原氏が渡氏に苦労を強いていたことに気付いていたことを知ったことで、あらためて石原氏の人間性の大きさを思い知らされたという。 「西部警察」魅力の一つに、「石原軍団」の縮図である「大門軍団」の結束の強さ、固さがある。 団長に全幅の信頼を寄せ、その命すら投げ出すことをいとわぬ団員たちと、黙ってその信頼に答え自ら体を張って第一線にその身を投げ出す団長。 これが石原プロ自体のあり方から来ていることは容易に想像できる。だからこそ「西部警察」は「西部警察」たりえたのだと考えられるし、だからこそ、渡氏もあえて「西部警察」を演じる気になったのかな、などと勝手に考えている筆者です。 参考文献 「渡哲也
俺」柏木純一著・毎日新聞社・1991 「石原裕次郎・・・そしてその仲間」芳賀書店・刊行年月日不明 文中の渡哲也氏の発言は、すべて「渡哲也 俺」からの引用です。 |